もう20代と同じと思うなよ
自分に言い聞かす今日この頃。
久々に先週は仕事や仕事帰りに都内で人と会う予定てんこもりで土日は結婚式があったりと、
わりと慌ただしかったには慌ただしかったのですが、昔から体力には自信あったし、前職が激務だったもんで、ついついそれくらいなら朝飯前くらいに捉えてたんですよねー。
「30の不調は数珠つなぎ」とか言いながら、新しい職場の同僚の結婚式後、二次会にはいかず(二次会が辛くなる年頃なのよ!)気の知れた大学時代からの女友達(みんな体調悪し)と銀座で火鍋つつきながら、火鍋の中のにんにくをひたすら食べまくって、さあ明日も仕事だしね、って言い合って別れて、帰り道「あ、でもまだ元気かも、わたし」とか思ってたら。。。
朝起きて寝返り打ったら、
首と肩寝違えた。。。激痛もだえ、前傾姿勢しかできなくなり、仕事いったものの、痛みがはげしくなり、整形外科へ。
甘くみてたわ、自分の身体。
30の不調は、まだまだ若いって20代と同じような遊び方に身体がSOS出してたのかもしれない。すぐ不調になるわたしの身体。
いつまでも20代と思うな、私の心と体よ。
しんどいわー。
夏の暑い日に戦争で亡くなった大叔父のこと。
スリランカ行きの飛行機内で永遠のゼロをみた。日本語映画がこれくらいしかなかったからね。
百田尚樹の小説は、海賊と呼ばれた男とかBOXを読んだけれど、小説として好みだと思わなかったので(なんか少年マンガみたいだなーって感じ、小説じゃないほうが良さそう)永遠のゼロは読んでなかったし、映画も話題になってたときも戦争美化いやだな、涙頂戴だなって感じで興味なかったのです。
実際映画は、あんまり響かなかった。。
けど、三浦春馬扮する孫が戦争で若くしてなくなった自分の本当の祖父がどんな人であったか、を調べるというくだりで、はたと思った。
そう、誰かが調べないと、消えてしまうのだ、
記憶と記録の狭間に、ただ一つの死として、私の大叔父の死も。と。
私の亡くなった祖父の弟、私にとって大叔父は戦争で亡くなった。とずっと知らされていた。
戦争で、というのは一部正しい。
けれど戦死ではなく、
戦犯として処刑されたのだ、戦後に。
まだ24歳だった大叔父は、ビルマのラングーンで絞首刑となった。
私がそれを知ったのは成人してからだった、何気なくまだ元気な祖母から聞いたのだった。
祖父の兄弟は三兄弟と末の妹だった。大叔父は、その中でも特に優秀で、当時没落豪農で貧乏だった祖父の家のために、旧制中学校ではなく陸軍士官学校に入ったそうだ。
私の祖父は物理の学者で、それもあり、戦争には行かなかった。変人の祖父だったのは覚えている。
いちばん末の弟で、まだ存命の大叔父は幼かった。
祖母から聞いた話は、敗戦後真っ先に逃げた上層部に代わり、当時中尉だった大叔父はその戦争責任を問われたということだった。
ネットで大叔父の名前で調べてみると、断片的な情報しか出てこない。
辞世の句とか、終戦後、ラングーンにて軍事裁判にかかった、とか。
だけど、何の戦争犯罪に問われたかがわからない。戦争中どんなことをしたのか、戦後のビルマで捉えられどんな生活をしていたのか。
そしてどんな気持ちで死んで行ったのか。
生前、祖父は絶対靖国には行かない、あそこに英霊として弟が祀られてるのが我慢ならない。と言っていたそうだ。
その祖父もだいぶ昔になくなり、あとは弟である大叔父も80をとうにこしている。
24歳で亡くなった大叔父も、長い長い時間の経過の中で、埋もれていくのだろうか。 できたら、私は知りたい。残したい。 自分の先祖に戦争犯罪に問われ、命を落とさなければいけなかった若い青年がいたこと。 みんな、自分から3代から2代から遡れば、必ずどんな形であれ戦争に関わり、巻き込まれた方がいるだろう。もしかしたら命を落とされた親族がいるかもしれない。 歴史と記憶からもれ落ちたかもしれない方々のことを知ること、自分の関わりのある命だったと知ると、それはもはや大きな歴史の話ではなく、家族の歴史の話になる。 そのとき戦争は、リアルなモノとして立ち現れ、家族の記憶に遺っていくものになると思った。 昨日が終戦記念日だったので、書き留めておきました。ジェーン・スー氏が好きだ
貴様女子、買ってむさぼり読んでいる。
私は30歳だけれど、ジェーン・スーさんの文章にないたり、笑ったり、共感しまくる。
あのジェンダーやマウンティングから少し距離を置きつつ、しごく冷静に、そしてやや自虐的な目線で語られる感じが気持ちいい。あと愛があるっていうか、意地悪じゃない感じ。
PR会社にいたときの、バリバリ働く男前な女性パイセンみたいな感じ。
ほんとに女バイキングって感じでかっこよかったな。わたしもこういう年の重ね方したい。
あまり達観しすぎず、フラフラしながらも自分は自分よという生き方。
勝手に、生き方が似ているのだろうと推測する。
昨日生えかけの髪の毛をどうにかするために、美容院へ久々に行ったら、髪をショートに切られ、
どうみても30でおしゃれじゃないショートってやばすぎる。。
いやー髪型八割だわー。
去年の今頃はセミロングのグラデカラーでイケイケで可愛かったのに。
去年より太ったし、ショートヘアの30女で、いいとこないんですけど、、、。
スリランカにおります
30になったし、公務員だから夏休み長く取りやすいってのもあるんで、今スリランカ旅行中です。
前職のときは、会社携帯でメール逐一確認しないといけなかった。
もちろん、代理店なんで毎年ハワイとか年末海外豪華にしてる人はたくさんいましたけど、私は韓国と台湾くらいが関の山。
なかなか追い立てられる気持ちは海外でもなくならなかった。
転職して一番良かったのは会社携帯がないことかも。
クライアントからいつも追っかけ電話がくる生活から解放されたときはすっきりしましたね。
まあ転職後すぐやめた会社なんて、夏季休暇はなくて、有休あてろっていう鬼畜な会社(当然、働いて半年間は有休つかないし)でしたから、前の会社は夏季休暇もつくし、福利厚生は良かった方だと思うけど、、、
公務員は給料がちで低いけど、福利厚生は最高にいい。まずは有休は一年目でも最初から20日つく。試用期間関係なし。さらに夏季休暇は6日つく。
私は前の会社辞める時、有休を38日ほどドブに捨てた(max40のうち無理やり2日使って)んだけど、有休ちゃんと使える今の生活最高。
っても使い切れるわけないけど、一時間単位で取れるので、育児中のパパママがよく多用している。
これ自分が子育てするようになったら超重要。
ただし、私が前職勤めてたのが5年目、27の時。
転職して辞めてニートになって、公務員になったのが28の時。
公務員一年目が29の時。
27歳の年収より200万近く落ちてます29の時。
金を取るか、時間をとるかってまさにそれ。
スリランカはしばらく住みたいくらいいい国。
カレーすきな私には天国や。
ああでも私が稼いだお金は体力のあるうちに稼いでた一時的なものだから転職できてよかったよ。
HYKEの服がきたいの。
私が社会人2年目の冬のボーナスに買ったのは、ラストシーズン前のgreenのモッズコート。
9万円する服を買うようになれたのは密やかな誇りだった。
greenはずっと私の中で憧れのブランドだった。
あれからgreenは解散した。そして去年の秋冬からHYKEとして復活したのだ。
あのとき、いい服、憧れのブランドを初めて自分の稼いだお金で手にいれられてから、
自己達成は、いい服を、手に入れることになった。
欲しかったブランドに手を伸ばせることが、すごくすごく嬉しかった。
というわけで、ひたすら稼いだ金は洋服その他に消えていった。
無職になって、公務員になってからは、
なかなか昔のように憧れのブランドを手にできる機会はなくなったし、真面目に貯蓄するようになったので、服自体を買うことも少なくなった。
でも14AWシーズンのHYKEコレクションをみて、ばあああっと自分の中のあの2年目のとき、
熱烈に欲しくて店に何回か足を運び、
九月なのにコートを買ってしまった自分を思い出した。
嗚呼、着たい。HYKE着たい!!
今でもgreenのモッズコートは大切に着てます。
服に恋い焦がれたのは久しぶりかも。
やっぱり夏よりもう秋冬に目がいってしまう。
男子に理解されたいがためのファッションじゃないので、完全なる自己満足&同じような趣味の友達同士での見せ合いなんだけど。
これも独身の気楽さが為せる技だよな。
今のうちにたくさん楽しんどこ。
彼にはマルニのトートバッグを、このビニールのバッグなに?とか言われるし、マラン着てたら服装斬新とか言われるし、男性にうけるようなおしゃれができないです。だってりんちゃんとかだって、女子ウケだもん。おしゃれは自分と女子にうけてナンボ。
そういう意味で、NYLONとか若くてかわいくておしゃれを自分たち視点で楽しむ子たちは最高に可愛い。私はGINZA世代ですが。
というわけで、HYKEのアウター今年は買いたい!
でもって、いつかはドリスをきてみたいし、ステラのドレスもきてみたいし、願わくばウエディンドレスはランバンを着てみたいですよ。
ええ、夢です。
伸びかけの毛と夏の始まりの予感
私の数少ない人生経験の中のインパクトの強い出来事として、昨年冬から今年春までに起こった円形脱毛症は上位にランクインする。
というか、同時多発ハゲだけじゃなく29歳からずっと体調が優れないことが多く、社畜時代より暇で余裕もあるはずなのに、未踏の体調悪ゾーンへ突入したなあとしみじみ凹んでいた。
円形脱毛症は、治療の甲斐もあってか、順調に回復しまして、いま芝生のように毛が上に、上に。イメージとしては一時期はやったカラフルな毛が上に伸びているトロール人形のように伸びんとしている。
で、見た目は甲本ヒロトみたいな感じ。
トップが伸びかけの短い毛ばかりなんで、パンクスYEAHて感じ。
甲本ヒロトみたいな30女。
髪の毛は肩上ボブなんで、ゴルファーでいうとジャンボ尾崎かな。
耐えられない。
見た目に自信があるわけじゃなくても、髪型がマイナスからのスタートすぎて、毎日いやになります。
思い切って蒼井優ちゃんや宮沢りえさんのようなベリーショートにしてみてもいいけど、
あれは美人で首が細い方にだけ許される特権。
まあでもなんとか日々生きてる。
そして自分が気にしてるほど、周りは自分を気にしてないということが年齢を重ねるほど、
いい意味で諦めのように作用する。
夏が始まる予感の朝、バスの中で、年配の女性のかしましいおしゃべりを聴きながら、
生きるとは、恥ずかしいを乗り越えたところから始まるのかなと思った。バランスだけども。
期待度が年齢とともに上がる自分がいやだ
ついに土曜日で30歳になった。
友人や同期にもかつてないほど、お祝いいただき、かつ誕生日を過ごしてくれる優しい彼氏もいて、大変幸せなんです。
が、やっぱり期待しちゃったなー。
なにを?ってプロポーズだな。
くるかな?って気持ちすごい押さえていたけど、
まあ来なかったな。
朝から車出したり、おしゃれなレストラン予約したり頑張ってくれてたし、プレゼントも好きなものかいなよって言ってくれて、
ほんと30のさして可愛くもないとんがり風味の女にありがたいことでしか、ない。
ないんだが、、、。。
美味しいものも欲しいものも、やりたいことも、
自分で手に入れてきたのよ。
だから、自分ができることは当然相手にも期待しちゃう悪い癖。
自覚できただけ、ましか。
ぶつけなかっただけ、ましか。
わかるなー、ハードル高くなる気持ち。
欲しいものある?って聞かれて、
ものとかの欲しいものは、自分で手に入れられるからいらない、と思った。
それより!!と鼻息荒くなりそうになるけど、
いや、もう結婚とかに別に夢見てないけどさ、
周りからああだこうだ、言われるのにほんとやなんだよ。誕生日にプロポーズかもね、とか
いつ結婚するの?とか、彼氏は結婚する気あるの?とか知らねーわ。
私が聞きたいわ。
彼氏いないときはいないときなりに言われたけれど、気楽だった。
だって、そうですね〜いい人いればすぐにでもしたいです。とかいえばよかったし。
相手がいないから、自分さえスタンスを決めればよかった。
自分だけじゃ、手に入れられないのに、手に入れろ、入れないのはおかしい、と気軽に投げかけてくる言葉にほんといやになる。
だからと言って、結婚!結婚!て迫る体力もない。
ほんと不自由だな、期待度をあげて、苦しめてるのも自分自身なんだけど。
独りよがりで生きてる方が私はきっと強かった。
自分でがしがし開いていく生き方が、
この年になって、できなくなってきた。
彼にはこんなこと、わかるわけもない。
話すこともしない。
来年するから、と言われても嬉しくもない。
こんなことなら、自分で期待度をあげて、自分で苦しむなら、ありの〜ままの〜姿みせるのよ〜と生きていきたいと思った。
いつから弱くなった?
人と生きることを望んだから?