この女といふもの、齢30になりたる

さまよひゆれたるこのごろの女の気持ちを徒然と書き連ね

乙女の終焉とポストモダン

自分のことをずっと乙女性が強いと思っていたけど、多分こじらせてたんだろうって気づいたのは遅いことに20代も後半に差し掛かった頃。 ロックンロールは鳴りやまないっ!の世界観をこじらせて大人になったサブカル乙女かつ社畜渋谷直角の名著「カフェで流れる〜」の帯に書かれた能町さんのコメントのように、一度死んだ。 ヲトメ・イズ・デッド。 さて、その物語が終焉したポストモダンの中に私は生きている。 セカンドサマーオブミソジエラ。 途中まで書いてなにがなんだか。 これからはもっと自分の中のこじらせたロックも愛しながら、大人になった諦念と中庸で生きていきたい。 岡村ちゃん聴いてたらそんな気分になっただけ。

ワンダーフォーゲルからもう15年くらい

今日久々に、でもないけど、くるりワンダーフォーゲルのPVをみた。


曲自体はしばしばわたしの人生に必要なものとして、登場してくるし、こないだもビクターロック祭りで岸田さん歌ってたし、全然古いとも思わない。むしろいまだからこそにハローもグッバイもサンキューも言わなくなってく、別れとかすれ違いだとか人生のキャラバン的なことはしみじみ、自分のテーマみたいなもんだな、と思う。


オザケンのさよならなんて言えないよとか川上弘美の小説とかと同じように、いつかはなくなっていくあの時の輝きとかそんなものをあんまり悲しくなくたんたんと受け入れていくようなそんなテーマなんだけど。うまく言えないけど。


ただ時間の流れに愕然とする。


ワンダーフォーゲルといえば私はチームロックをMDに焼いて夏期講習の行き帰りに聴いていた高校二年生の夏休みを思い出す。


くるりスーパーカーウィーザーレディオヘッドにブラー、ストーンローゼズ、ニューオーダーペイヴメントマイブラソニックユース。。。


洋楽かぶれの可愛くない金髪の女子高生だった私、TSUTAYAで洋楽CDをむさぼるように借り、discunionで目を皿のようにdig(これってシティボーイっぽい笑)し、リラックスフォーガールズを経典のように崇め、ストリートの残り香を全身に降り注ぎ、でもださかったあの頃。

個性的でありたいと自意識を必要以上にこじらせてたくせに健全に部活をやる女子高生。


あのとき、ワンダーフォーゲルの四つ打ちをどんな気分で聴いていたのか、いまは思い出せない。


あれだけ好きで集めていた洋楽のCDは引っ越す時すべて売ってしまった。

なけなしのお金をはたいてかったレディへのアルバムとかスミスとかも全部。いまや懐かしいけど、もうあの時みたいな私的グランジオルタナティブ〜UKの時代は、終わりを告げ、切実に何かを求めたり内省的になったりする機会はないので、自分の中では完全に遠景だ。


でもくるりはあの時からそばにいる。

安心な僕らは旅に出て、今も泣いたり笑ったりして年をとっていく。

それはちょっとわたしを勇気付けたりする。


あ、高2のわたしがくるりをどう聴いたかは思い出せないけど、ジンジャーエール買って飲んだりしてたのは覚えてる。


生理のリアルライフ

来ない

なにが?

生理が。


私は生理痛むちゃくちゃ重たい。

PMSもひどいし、それなのに生理周期は安定してるから、毎月あの下腹部を踏みつけられつたぐりぐりされるような痛みと戦ってる。いや防衛が欠かせない、ロキソニンがないともう息も絶え絶え。

おまけに、アラサーに近づくにつれ、なんか始まるときに「さぁゲームの始まりです」みたいな勢い良さが失われて、いつ始まるの?始まったの?みたいな予告編が長すぎるようになった。

友人と話してたら、友人もそうらしいんで、子宮が古くなってきて、子宮内膜を剥がす働きが弱まってるのかも、という推測をしている。

一度あまりに生理痛がひどいので、婦人科行ってみてもらったけど、異常なしで、ピルを処方してもらったんだけど、当時円形脱毛症が始まってたから、副作用で髪が抜けるピルに手を伸ばせなかった。


で、今生理予定日より3日ほど遅れている、まだきてない。

よ、よもや妊娠か、って気は全然しないけど、こないのがこんなに焦るもんだとは。

妊娠してたら嬉しいけど、そんなに簡単に妊娠できないというのも知っているし、避妊はしていたからほぼない。

とりあえず生理前のような下腹部痛と頭痛は続いてるんだけど、妊娠初期症状も同じらしい。

来週までこなかったら婦人科行こう。

最近体調不良が続いたから、ずれるのも仕方ないのかも。

はあ、、、早くこい。


脱・社畜したアラサーの顛末

なんか、アラサーくらいの悩んでる女子がたくさんはてなにいそう。

ちょっと読んだ同世代のブログ(申し訳ないので、引用しないでおこうかな。あのテンションが毎日ダダかわりすぎるんだけど、常にやや躁ぎみってのが、ほんと疲れてるんだなぁ・・・大丈夫かい?って心配になる)が、既視感ありすぎて、頭がんがんぶつけそうになった。

わたしはもてない社畜だったけど。もてなくて、もてなくて、そらひどかったけど。

 

アメブロってやっぱりそういうの吐き出せる場じゃないもんね、たぶん。

FBのメインストリームは充実の休日★旦那と出かけたよ★こんなにベビが大きくなりました★というリア充三原則に基づかれてますしね、おそらく。

ツイッター、最近やってないけど、ガチなヲタがメインストリームだしね、やっぱり(KPOPにどはまりしてたころ私も毎日つぶやきまくってたなぁ。。。)。

 

ちょっと自分のこと勝手に話すけども、私も「もぉ~こんな社畜いやだYO、おーがにっくな生活するんだい★★私らしく生きたいの★」って疲れ果て思考停止した状態で、新卒から大変お世話になったいい会社(社畜だったけど、離れてわかる故郷の良さな)をやめた。

多分、逃げだった。ストーリーをあとづけしてそれらしく言うこといくらでもできるけど、ほんとは限界感じてたんだと思う。仕事にも、自分の能力にも体にも。でもそこでやめてなければ多分今もその会社にいたと思うけど、這いつくばりながら。

んで間も空けず転職したら、そこが地獄の三丁目。はたからみればクリーンでナチュラル☆みたいな会社だったんだけどね。

OTSUBONEというか同世代の同僚に、真綿で首を締めるように毎日追い詰められ、いじわるされ、女子の陰湿さと企業体質(家族経営とか。情報出てないんだもん)にまんまとやられてしまい、3ヶ月で退職。まさに心神耗弱っていうのかな。いまだにフラッシュバックすることもあるくらい辛かった。

その時友人とシェアルームしてたんだけど、当時を振り返って「毎日終電帰りで、帰ってきても仕事終わらないって泣きながらパソコン開いて夜中まで仕事して、でいつも仕事ができない自分が悪いって責めてて、異常だった」と言われた。

3ヶ月でやめちゃうなんて、なんて不甲斐のない仕事の出来ない人間なのだ、と自分を責めたし、一切の自信もなくなった。そして、人生の成功モデルから脱落したと思った。(この会社というよりも、もう社会人として働ける自信をすっかりなくしてしまったのだ)いやあしんどかった。会社からは逃げられてよかったんだけど、バイタリティとか信念だとか自信だとか人を信頼することだとか、今まで自分を前に進ませていたあらゆるものが、消えはててた。ここは砂漠かな、絶望かな、私は一生社会復帰できないニートになるのかな、みたいな。挫折はいくつか経験してきたけど、そういうものとはまた違うなんていうかな、この無力感。ていう感じ。

でももっとひどくなる前でよかったのだ。

結果論だけど、外れても何も怖いことはない。早く逃げてよかった。私の中の健全な魂が私を守ってくれたと思う。

そこからざっと流すと、状態を知った家族から捕獲され実家にすごすごと帰り、(シェアしてた友人とか家族にはほんと感謝してる)ブラブラとニートし、でまたあの業界に戻るの怖いってことで、公務員試験勉強して運良く受かり、会社辞めて半年後には、地元の自治体で職場復帰した。今新しい職場でもう一年半経った。

私の場合は運良く早く社会復帰できたけど、自分の体と心はそんなに強くないってわかった。今いる場所が、自分が大学とか新卒の時居たかった場所でもない。

でも私がこれを選んだのだ。

そしてこの社畜から無職から公僕の流れで、自分がやりたかったことが向いていなかったという絶望的な事実もつきつけられた気もする。

東京でキラキラしたような遊び方をもうできない。

ダイナミックな仕事をもうできない。

でも仕方ない。自分で選んだんだから。そしてそれを気づけたこと、自分を客観的に、そして理性的に捉えられる目をもてたことが収穫かもしれない。

自己実現神話を信じていた時代は終わったんだろう。

己が器を知ることは、そんなに悪いことではない。

現実的にひそやかに今は生きてる。でも昔よりはいくぶんも幸せだよ。

昔の自分にも、やめちゃいなよ、と言うと思う。無理してがんばって這いつくばって、自分の器を過信するのはやめようって。あんた自分が思ってるほど、仕事できるわけでも、虚勢はって生きられるタイプでもないからと。

でも実際その日々があったからなわけで、なにも悪いことばかりではないけれど!ないけれど!ね、体を壊す前に!どうか、こぴっと自分を大切にしてくりょう。とおらは思うんだよお。(花子とアンにはまっております)

ごきげんよう、さようなら。

 

 

東方神起みてきたお

二日間ドーム参戦してきた。

気づいたら、彼らを好きになってもう6年経つんですけど。。。

あのとき20歳前の少年で、まだチームの中で知名度最下位チャンミンはもうアラサーのイケ男になって、

当時ちょうどかっこよさのピークだったユノは、すっかりおばさんども(私か)を相手にかわいさでアピールするおぢさんになってきたし、

あのとき24だったわたしは今年でもう30歳ですわ。ですわ、ですわ、、、。

いまだにチャンミンより年下な彼氏がいることが信じられないよ。私の中でチャンミンいうたら自分が好きになった一番年下のアイドルだったからその当時から(あ、ちゃみぺんではないけど東方神起というグループという意味で)

昨日はとなりがJKでさ、やっぱちゃみさんペンなわけで、一緒に行った母と「そら、女子高生ならチャンミン一択(だってユノかっこいいけどJKさんからしたら28っておぢさんよね、、)だよねえ」とか話したりした。

ああやっぱりよかった、最近新譜買うのとライブいくくらいしかトン活してないんだけど、

やっぱり好きでいてよかった。いつまでも彼らは私の宝物だ。

円形脱毛症の予後

自分用まとめ


発覚時期 2013年12月半ば 

後頭部に500円大の円形ハゲ 一箇所。一週間前くらいから大量の抜け毛あり。この時点では多少毛量少なくなったかなくらい。

同時期に膀胱炎。

進行時期 2014年1月〜3月

後頭部大ハゲにつづき、前頭部に複数箇所の豆粒大〜五円玉ハゲができる、その後、頭頂部〜後頭部にかけて、数え切れないくらいの小ハゲが多発。抜け毛が止まず、毛量は進行後半期には通常時の3分の1くらいまで減る。一番最初に抜けた大ハゲは産毛が生え始める。

この時期なぜか疲れやすく、毎日仕事から帰ると22時までには眠たくて寝ていた。

またさすがに3月から病院へ通い、服薬治療とドライアイスを患部へ吹き付ける治療開始。週一で通う。

回復期  2014年4月〜現在

治療の効果か、抜け毛が劇的に減る。前頭部から抜けた箇所に新しい髪の毛が雨後の筍様に一斉に生え始める。現在、三センチ程度。すかすかした頭頂部〜後頭部も密度は回復。元の髪は結果として4分の1の量くらいまで減っているが、新しい髪の毛のおかげですかすか感はない。

現在の髪型 1月頃、ボブヘアにカットしたが、その頃の毛がほぼ抜けたため、長めの髪の毛を自分でカットして短めボブ。しかしながら、新しい髪の毛がぴょんぴょん生えてきてるため、ナチュラルレイヤーとなり、兵藤ゆきあるいはデビットボウイ様の髪型のようである。



2013年総括

いい職場に恵まれた

恋人ができた

引っ越した

8キロ痩せていた

初ハワイ

年をとった

JYJをみた

東方神起をみた

あまちゃんにはまった

本をあまり読まなくなった

よく歩いた

生理痛が激しくなった

五万の差し歯をいれた

たくさんご祝儀を差し上げた

猫が好きな気持ちに疑義が生じた

恋愛で悩むなんてこの年で

アラサーという型にはまって苦しくなった

物欲が少なくなった

お金を貯めることを意識した

老後について考え始めた

膀胱炎の痛みを知った

円形脱毛症になった

結局自分は自分だから

せんないことを悩むのはやめた

来年も楽しく健康であればいい